「般若心経の空とはなにか」要約


はじめに
 私は2008年8月、般若心経に関する冊子、A4版で110ページを出版しました。「般若心経の空とはなにか」、副題「お釈迦さまの悟りと龍樹による再生、般若心経を完成した聖者の真意」です。この骨子は、般若心経を起承転結に分解して、文章としての意味を解明した点にあります。その上で、その仏教上の意義を三つの点から明らかにしたところに特徴があります。
 この冊子を次のように要約してみました。

 般若心経が成立したのはお釈迦さま入滅後、七百年〜九百年後と云われます。
 最初の仏教経典は阿含経です。これはお釈迦さま直説の教えで、口伝により弟子達に受け継がれて数百年後に文字化されたものです。
 お釈迦さまは人間の肉体と心は、「縁によって」つまり他に依存して生成、消滅するものだと説かれました。依存する条件が変わらなければ未来永劫変化しないように見えるが、そんな変わらない「我」あるいは魂を否定されたのです。
 これを「縁起の法」と云い、お釈迦さまの悟りの内容、涅槃でした。
 ところが四百年程経つと、お釈迦さまが説かれた涅槃は実在すると云う解釈を手がかりに、すべては実在すると主張する集団(説一切有部)が現れ仏教界の最大勢力になりました。
 これに対して実在説は間違いで、お釈迦さまが説かれたのは空であると主張して、般若経を書く修行者が現れます。さらにその二百年後、龍樹は直感と比喩のみで説かれた空を、有でもなく無でもなくその「中」(ちゅう)にこそ空があるとする「空の論理」を確立して、お釈迦さまの縁起の法の意義を再生したのです。なお「中」とは有(実在、常見又は常)と無(虚無、断見又は断)、苦と楽、善と悪など二分法によって分けられたそのどちらにも属さず、それを超越したあり方を示す言葉です。
 般若経に続いて多くの大乗経典が誕生しますが、龍樹の後にも数百年に渡り空の論理を基層とする大乗仏教経典が続々誕生します。
 般若心経はその最中に成立したものです。
 このように般若心経はそうした歴史的背景をも内容を取り込み、揺籃するお釈迦さまの教えの完全なる定着のため、興起してきた密教における最強の呪を与えて完成されたと考えるべきなのです。
 般若心経はこうした仏教の大きな歴史的流れを内容に取り込みつつお釈迦さまの悟りの真髄を説いていると考えると、私が般若心経を起承転結に分解し解明した理由を理解いただけると思います。
 以下、私が知る所を記述していきます。


T 般若心経成立の時期とその経緯
(1)成立の時期
(2)成立の経緯  お釈迦さまが入滅されたのは紀元前四百年頃です。
 般若心経が成立したのは紀元後三百年から五百年の間と云われます。したがって般若心経の完成は、お釈迦さま入滅後七百年から九百年後になるわけです。

@般若の意味
 サンスクリット語にジナナ(jnana)と云う言葉があります。ジナナとは物事を分析的、論理的に思惟して、この世の真理をきわめる最高の智慧で、叡智を意味します。ジナナは古代から、宗教、哲学、社会思想においてすぐれた成果を生み出してきた思惟の形です。近代から現代に至る科学技術上の発展をもたらした最高の思惟の形でもあります。この思惟の形は今日、私達が日常繰り広げる、政治的活動、経済的活動、文化的活動やなんらかの組織活動においても、その円滑、円満な遂行に欠かせない思惟の形です。
  ところがジナナをさらに強調するプラ(pra)と云う接頭辞を付したプラジニア(prajna)と云う言葉があります。プラジニアとは思惟ではなく、瞑想によって瞬時にして究極の真理を直感的、直証的、総合的に得る智慧を意味します。
  このプラジニアをサンスクリット語の俗語形であるパーリ語でパンニャ(panna)と云います。このパンニャの漢字の音写語が般若なのです。
  私は般若はどの様な作法の瞑想によって得られるものか知る事は出来ません。しかし時々、科学上の偉大な発見発明した人の逸話の中にその片鱗を知る事が出来ます。何年も何十年も1つの物理的現象の法則性や原理を求めてきた研究者が、「夢の中で解答を得た」とか「思考に疲れた体を湯舟にひたしていた時に突然ひらめいた」と云った体験談です。膨大な思惟と研究活動の成果として瞬時にそれを要約して1つの単純な法則、原理として解明されるのは、まさにプラジニア的智慧です。
  プラジニアはお釈迦さまが悟りを得た智慧です。ジナナとはお釈迦さまの悟りや教えを分析的、論理的に解明して評価し体系化する智慧でした。
  同じ智慧と云っても、思惟の方法においても、内容においても、深さ、素早さ、細やかさ、大きさ、高さ、そして実証性においても全く異なるものです。仏教書において智慧と云う場合、プラジニア、ジナナが区別されていないきらいがあります。般若心経の理解には、この2つの智慧を明確に区別する必要があります。
 
A成立の経緯
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五蘊と縁起の法
仏教においては人間を五蘊、つまり五つの集まりと考えます。色、受、想、行、識の五つです。色とは肉体で受想行識は心のはたらきを四つの段階に分けたものです。仏教では人間を肉体と、それを拠り所とする心のはたらきからなるものとみて、この五つにより一人の人間の存在全体を表し尽くすと考えたものです。
   お釈迦さまはプラジニアの智慧により五蘊は他に依存する関係で生成、消滅するだけで未来永劫変わらない実体などは無いのだと云う真理を悟りました。これを縁起の法と云います。それまでのバラモン思想にある未来永劫、消滅する事なく輪廻する我、つまり魂を否定したのです。
A
説一切有部の実在説
お釈迦さま入滅後、四百年程経つ頃になると、教団は四分五裂して、三十を超えるまで分裂しました。この中に説一切有部(すべてはあると説く集団)があります。彼等はジナナによりお釈迦さまの悟りと教えを解釈し、すべては実在すると云う仏教哲学を完成しました。彼等の精緻な論理は多くの支持者を集めて、この時代の最大勢力となりました。
B
般若経
説一切有部に対して、プラジニアの智慧によりお釈迦さまの真意を知る神秘的修行者がおりました。彼等は説一切有部の実在説に異議をとなえて般若経を書き空を主張しはじめました。それは瞑想の中で見た悟りの境地、瞑想の中で会った仏(悟った人)を直感と比喩で語るものでした。そして自分達が主張する空こそお釈迦さまの真意であるとしました。
C
龍樹
般若経を説く集団が現れてから、さらに二百年後に龍樹が現れます。龍樹は直感と比喩のみで説かれた般若経の空に論理を与え空の論理を完成する。空の論理は縁起の法を展開したもので、お釈迦さまの教えへの回帰でありました。空の論理は大乗仏教として仏教の基層となっていきました。
D
般若心経の成立
般若経誕生の後、そして龍樹の後も数百年経過する中、現代の仏教宗派の基礎となるさまざまの経典が誕生していきました。
   そうした中で、お釈迦さま入滅後、七百年から九百年の間に起こった歴史的経緯と悟りの本質を簡潔にまとめ、その頃興起してきた密教の最強の呪を与えて、一つのお経を完成した修行者がおりました。それが般若心経です。彼もプラジニアの智慧によりお釈迦さまの悟りの本質を良く知る神秘的修行者であったのです。

(3)舎利子のこと
般若心経の成立が、お釈迦さまが入滅されて七百〜九百年後とすると、その文言の中にその歴史的事実と矛盾するものがあります。
 舎利子の事です。舎利子はお釈迦さま十大弟子の一人です。智慧第一と云われた実在の聖者です。お釈迦さまの信任あつく、たびたびお釈迦さまに代わって教えを説く事がありました。
 般若心経の中に「舎利子よ」と呼びかける文言があります。まるで般若心経はお釈迦さまが舎利子に呼びかけて説かれたか、あるいは、そのような場面を記憶する他の弟子が記録したかのような表現です。それは違うのです。
 説一切有部は多くの仏教哲学書(アビダルマ)を残しております。その中に舎利子を登場させ実在説を説かせているのです。だからこの時代、舎利子は実在論者の代表の如く記録されているわけです。般若心経の作者はそうした時代背景をふまえ架空の舎利子を実在論者の代表とみたてて、説一切有部の実在説否定の論証に利用したのでしょう。実在の舎利子には、はなはだ迷惑な事でしょう。だが、お釈迦さまが説かれた真理の再生と永続に最大の功績ある経典に反面教師として登場出来たのだから、本望として満足されている事でしょう。